コロナ下の卒業設計を振り返る

卒業設計のニューノーマル

北垣 今年は卒業設計の中間審査はどうやるんですか。

神吉 計画系会議でもう対面に戻しましょうっていう話をしました。机を広げる大会議室にはめっちゃ換気扇あるんで。

興梠 大会議室でもうできるんですか?

神吉 今一番やりやすいでしょう。あの頃の低くなったときよりも感染者少ないし。あとはみんな去年や今年度前半を知っているからここまではできるっていうのが見えている。(筆者注:インタビュー後、卒業設計の中間審査は2年前までと同様に大会議室で行われました)

北垣 スタジオ(4回生前期の設計演習)もグループに分かれて講評会でしたね。

小見山 そうそう。先生を3グループに分けて3回プレゼンみたいな。全員で回るんじゃなくて、グループごとに時間差で回ったんですね。

神吉 多元中継みたいなことしていましたね。

興梠 あの方法を考えたのは誰なんですか?

小見山 基本的には安田渓先生、岩瀬諒子先生と学生の製図室委員で決めたのかと(筆者注・多元中継はコロナ禍前から安田先生が提案されていたそうです)。人数を少なくするっていうのももちろんあったと思うんだけど、それ以上に全員からコメントを聞けるということもあります。大勢で回っていると発言できない先生もいるから。コロナのことだけじゃなくて、これを機会により良くしようっていうことを考えられたのかな。

過去の会議の議事録を見ながらインタビューしました。

北垣 去年のやり方は「大学対学生」とか「革命」みたいな見方はされたくなくて、学生の間でも先生ともたくさん話し合ったし、自分で制限を設けたりしてしんどかった。「やりたいことやろうぜ」みたいな勢いだけではありませんでした。

神吉 自己決定がしんどいっていうのは、町内会の運営とかもそうですけど、これが性能規定なのか、交渉の余地ありなのか、根拠はどうなのかとか、確定しない要素が多い中でやらないといけないということですね。

北垣 去年度の卒業設計は成功したと思うんですけど、いろんな先生方に伺ったりとかいろんな準備が大変で、これを続けるのはもっと大変だなって思います。今年のスタジオもよかったと思うんですけど、運営にかなり負担がかかるし。よりよい卒業設計っていうのを考えるのに加えて、どう続けるかということまで考えるフェーズに入りそう。

興梠 再現性があるかまで考慮してほしいね。

北垣 僕らは最初だったのでこうなったんですけど、だからそういう意味では運が良かった。

小見山 僕はもうこういう風な状況だから、昔のコロンビア大学のペーパーレススタジオ(1990年代にベルナール・チュミが始めた、スケッチや図面を全てデジタルで完結させる取り組み)みたいに、今までと全然違う設計方法を模索する学生が現れてもいいんじゃないかって思っていたんだけど、意外とそうはならなかった。でもそれはそれでよかったと思っています。コロナ禍とは関係なく、もっと普遍的なことをしたいとみんな思っているはずで、それをちゃんと最後まで完結させていた。
僕は東大で卒業設計をやったんですけど、東大のレギュレーションはすごくディスクリプティブで性能規定ではない。それこそボードの枚数や模型の大きさまで決められています。そこには東大的考え方京大的考え方ってのももちろんあると思うけど、それ以上に東大って場所が全然なくて、多目的演習室という所にみんな貼るんですよ。それでもうおのずと提出できるサイズが決まっちゃう。だけど京大は桂キャンパスのC-2棟に結構余剰のスペースがあって、割と自由がきいてよかったと思います。
そもそも京大の卒業設計ってほとんど何も決まっていないじゃないですか。「いい卒業設計を作ろう。以上」みたいな。今回ルールが明文化されて初めて、京大の卒業設計でみんなが守りたいと思うことが見えたと思います。これがずっと続くとキツいからまた何も書かないものに戻ったほうがいいですけど。

神吉 施設管理者的な話をすると、学生さんが毎年何か一筆その年の管理ルールを書いてくれたら何かあったときにすごくありがたいよ。ルール決めていましたって確認できるから。
今年度は大学がキャンパスに来るなとはいわなくなりましたけど、学生さんが陽性になる可能性はむしろ高かった。実際4月早々にデザインラボが一時閉室になりましたし。去年システムを立ち上げるところを担った学生さんはラボにはいなくて、第二世代はそこを与条件のように使ってしまう。今の4回生には「去年は単なるラッキーだった可能性もある」とか言ったほうがいいかもしれません。今年の卒業設計のやり方はまだ決まっていません。むしろ去年みたいに通常通りできないことが明らかだと日程を変えるような大胆な変更はしやすいんですけどね。

北垣 去年度こういう風になったのは、大学に何か言われる前に学生間でこの状況をなんとかしなきゃっていう意志があったから。このままでは満足いく卒業設計にならないのがわかっていて、自分たちで動き出そうと決定できたのは偉かったです。大学とちゃんと関係を構築できたのもいい動きでした。やっぱり後輩達も受動的になるんじゃなくて、自分の卒業設計の場を自らでつくるっていうことを冷静に判断していかないといけないんじゃないかな。

興梠 たくさんの貴重なお話ありがとうございました!


インタビュー後、田路先生からも昨年度の卒業設計についてコメントを寄せていただきました。

感染症対策を行いながらの卒業設計の制作という前代未聞の事態のなかで、学科長としてきわめて難しい判断が求められました。教育と安全を両立させるのは容易ではありませんでした。しかしながら、学生諸君が私が想定していた以上の感染予防対策を作成してくれたのが大きかったと思います。これによって、4回生の自主性を信用することができました。その後は、下級生の手伝い、講評会、展覧会と次々に検討すべき課題がありましたが、教員と学生が対立することなく、一体となって取り組むことができました。おかげで感染者を出すことなく、すべてのプログラムを無事に実施できました。教員と学生諸君の協力に心から感謝しています。

田路貴浩
最後までお読みいただきありがとうございます!