1.ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展と岩瀨先生の出展
ヴェネチア・ビエンナーレは、1895年に発足し、イタリアのヴェネチア市内各所を会場とする芸術の祭典です。美術展として出発しつつも国際音楽祭、国際映画祭、国際演劇祭、国際建築展を独立部門として抱えるようになりました。国際建築展は1980年にスタートし、2年に一度を意味するイタリア語のビエンナーレの名が表すように、奇数年は美術、偶数年は建築の展示が行われます。2021年は2020年の建築展が1年遅れて開催され、日本館の展示に京都大学平田研究室助教の岩瀨諒子先生が出展されました! 今回は岩瀨先生へのインタビューを通して国際的に活躍される建築家像をリポートします!
岩瀨先生について詳しくはこちら:http://www.ryokoiwase.com/
___まずは日本館および岩瀨先生の展示概要を教えてください。
今回の日本館の展示は、「ふるまいの連鎖:エレメントの軌跡」という題名で、使われなくなった日本の一軒の木造住宅を丁寧に解体してヴェネチアに運び、現代のマテリアルを用いて再構築するという内容でした。解体した部材で再構築した作品群、持って行った部材でさまざまなものを作る作業場などの展示がありましたが、私は対象の住宅として選定した「高見澤邸」の印象的なエメラルドグリーンの外壁の看板部分を、メッシュスクリーンを用いて再構築しました。
___ヴェネチア・ビエンナーレの展示は国ごと、複数人のチームで行われますが、今年の日本館のチームはどんな顔ぶれだったのですか?
チームに建築家は5組いました。展示計画は最初から最後まで、チームみんなで練りましたが、キュレーターの門脇耕三さんはキャプテンのような存在として全体をまとめ、長坂常さんはピロティの中の資材庫等を中心にデザインしてくれました。建築家の若手3組は古材を使って、庭を展示場としてひとり1個ずつ大きな構築物を作りました。私は、高見澤邸の外壁を再構築した大きなスクリーン、木内俊克さんと砂山太一さんは壁をスキャニングして再構築する展示、元木大輔さんは屋根をベンチに再構築するという展示を行いました。
その他にも、全体のサイングラフィックで展示全体の見栄えを高めてくれたデザイナーの長嶋りかこさんや、解体から遠隔での現地施工の技術的なバックアップを行なってくれたTANKの福元成武さん、リサーチャーや編集者といった様々な専門性をもつ方々が関わっています。
日本館の展示について詳しくはこちら:https://architecturephoto.net/119424/
___家をヴェネチアに持っていくというテーマはすごいアイデアですね。どのように生まれたのですか?
テーマはチームで話し合って決めたのですが、そもそもの発端は、これまでのヴェネチア・ビエンナーレ日本館の予算の大半が移動に関するお金に使われていたということに対する着目でした。一方で、展示をみるビジターには移動の履歴をみることができません。(手元の缶コーヒーを手に取って)例えばこの缶コーヒーだってさっき淹れてもらったものというよりは、たくさんの見えない移動の集積でできていますよね。何気ない一軒の住宅でさえ、その背後には、たくさんの人の手や、物の移動が存在します。そんなことを議論していくうちに、移動することの意義を問い直した結果、なにかを移動させようという話になりました。そこから、ある種思い付きに近いのですが、「家を移動させる」という企画につながりました。
___実際に家を持っていってみて、なにか気づいたことはありますか?
一つの住宅をヴェネチアに持っていったわけですが、このあともオスロに行ったり(※)、端材でつくったものがいろんなところに売られたりしながら、住宅を通して時間と空間をいろんな人が共有しています。いろんな人やモノとの関係性の中で広く建築を据える意識が強くなりました。
※展示で知り合ったフィリピン館のキュレーター2人(フィリピン人とノルウェー人)と協働し、展示終了後に日本館の住宅をオスロに運び、部材をコミュニティ施設のデザインの一部として使うことになった。
___端材でつくったものというのは具体的にどんなものがよく売れたのですか?
予想外でしたが、私の家具が一番売れたようです(笑)。 作品の端材からアドホックに現地でなにか作ろうという話は前からしていたのですが、トイレやキッチンの塩ビのビニール床でつくったスツールはすぐに完売したようで、自分のお土産にしようと非売品にしていたスツールやベンチまで、現地の職人さんが勝手に値段をつけて売ってしまって(笑)。 イタリアのコレクターとか、サウジアラビアの美術館のパーマネントコレクションとして売られたと聞きました。
___家の残余が建築家によってヴェネチアに持っていかれたのに、その残余をつかって家具を作ったら建築家の知らん間にどこかに散り散りになったしまったって感じですね。
そうですね(笑) そういうことになったらいいねと元から話してはいたんですが、実際いろんな人の手に渡って、こうしてまた世界中に広がっていったのは驚きですよね。
2.コロナ禍での国際展。今年ならではの苦労とは?
___コロナ禍での準備になったと思うのですが、現地へは何回いかれたんですか?
2回行きました。2019年の5月にチームがセレクションされて、2019年の8月に慌てて行きました。1年後にプロジェクトを完成させないといけなかったので、すごく緊迫していました。コンペの時に「家を持っていく」までは決まっていたのですが、家を持っていくという壮大すぎる実験なのに、急いで完成させなくてはいけないという状態でした。
___コロナ禍での開催だからこそ、感じたことはありますか?
今年はヴェネチア・ビエンナーレ、120年の歴史上初めて延期されたわけですが、そのおかげで、各国の出展者同士の話し合いの場がオンラインで設けられ、さまざまなコラボレーションが生まれました。延期が決まった時に、韓国のキュレーターから、国を超えた連携の呼びかけがありました。キュレーター同士のコラボレーションでは、各国で出た廃材を使ってベンチをつくるコンペが開催されることもありました。私もUAE館で使っていたマグネシウムからセメントを固める技術を使わせていただいて、椅子と同じ柄のかわいい飛び石を作りました。今年は歴史に残る回だったのではなかったかと思います。
3.国際展ならでは!? 施工やプレゼンのドタバタ劇
___現地で起こったことで印象的だった出来事はありますか??
コロナの影響で施工に立ち会えなかったので、画面越しでしか確認できなかった開幕時点での仕上がりの完成度に疑問が残っていました。具体的にはグリーンのスクリーンの張りが弱かったというか、表面のうねりが気になってしまったんですね。現地の人にも「結構キレイです!」「大丈夫です!」とか励まされたんですけど(笑)。でも自分の国際舞台の作品がなんでこうなったんだろうってすごい落ち込んで、協賛企業のNBCメッシュテックさん(担当:川端下栄治さん)にも頭を下げて、どうしてもやり直したいという話をして、日本でも現地と同じものを再現した上で、原因や解決方法を探る実験を行ったりしました。そして2回目に現地に行った時に、休館日を利用して全部やりかえるってことを、実はしていました(笑)。そんなドタバタな日々でしたね。
___ヴェネチア・ビエンナーレには、最優秀賞にあたる金獅子賞の審査がありますよね。審査の日はどうでしたか??
審査のスタイルは、毎年著名な審査員が数日間にわたり各国のパヴィリオンを周る形式なのですが、今年はコロナで現地入りできないチームもいたためか、別会場の出展者からの噂で、「今年の審査員は作品に関する説明をさせてくれなかった」という話が回ってきたんですよ。けどチーム内で、審査員が回ってきたらニコニコと「ボンジョルノ!」ってみんなで元気よく挨拶はしようってのは決めていました(笑)。ただ、審査の当日にトークイベントがあって、そこに一部メンバーが出ていて、私が留守番していたところに、タイミング悪くその時に審査員が来てしまって(笑)。話す必要もないと聞いていたので元木さんのベンチに座ってサクラみたいなことをやってたんですけど(笑) 、現地のコーディネーターの方に、「説明しにいったほうがいいよ」と言われて、審査員に近づいていったら、審査委員長の妹島(和世)さんに見つかって、「あなた出展者の方よね?」って声かけられたんですが、緊張しすぎて「ボンジョルノ!」って言ってしまいました(笑)。そしたら妹島さんに「審査員の方々に展示の概要を説明してください」と言われたんです。いま思い返しても悪夢なのですが、人生で一番下手な英語を喋ったってくらい、恐ろしく緊張して概要を説明したのを覚えています。
4.京大の学生にむけて
___ヴィエンナーレの出展を通じて、京大の学生に伝えたいことはありますか?
門脇さんがヴェネチア・ビエンナーレの日本代表キュレーターでは歴代2番目くらいに若いキュレーターだったんですけど、実際現地にいってみると、他の国のキュレーターはもっと若くて、一番若い人でスペイン館の人で27歳くらいだったかな? 私自身もがんばらなきゃと思いました。あとはUAE館とかロシア館で、日本人がその国の代表として出展してたりしていたことに驚きました。そういう意味では、自国で待つばかりではなく、自らチャレンジして行くような気持ちでいれば、若くてもチャンスは掴めるんじゃないかと実感しました。あまり遠慮する必要はないなってことは自分自身に対しても思いました。
例えば、みなさんこうやってコロナが蔓延してから、なにか行動しましたか?? いまコロナが起きて、何となく「いつか終わるんだろうな」と待っている人と、コロナがあったから何かしらの変化にむけて動いている人がいて、数年後に、後者の人のほうが、何か新しい状況を切りひらくかもしれません。コロナに限った話ではないのですが、常に身の回りの物事に目を向け、考えて行動をしている人は、建築に対しても新しいことができるように周りの建築家をみていて思います。京大にいる学生はみんな優秀なので、期待しています。
※2021年当時、新型コロナウイルス感染症の世界的拡大により、京都大学は教職員の外務省危険情報・感染症危険レベル3にあたる国への海外渡航を原則認めていませんでしたが、岩瀨助教は本学工学研究科の判断のもと、例外的に認められて渡航しています。
(インタビュー:2021年12月10日 聞き手:鈴木友也 写真撮影:興梠卓人)