卒業設計を敷地へ還元する | 地元ひとり卒計展を通して

〈ひとり卒業設計展〉━私は自分の卒業設計を敷地とした地元の愛知県瀬戸市で展示させていただく機会に恵まれた。卒業設計展には、学内展のほか、Diploma×Kyotoやせんだいデザインリーグなど、地方・全国単位で津々浦々の学生の参加する大規模なものもある。しかし、〈ひとり卒業設計展〉はその逆で、私一人の展示である。このような展示を行うことを地元でお願いしたのは、卒業設計を通して敷地を調査・解釈し、設計という形で提案した敷地の可能性は、敷地とした地域の方々にこそ発表すべきと思ったからだ。

卒業設計と敷地

卒業設計―正確に言えば卒業設計の中でも具体的な地域を想定しその地域の課題と向き合う卒業設計―は原罪を抱えていると私は思う。

卒業設計で敷地とする場所は当然、思い入れが強かったり、魅力を感じたりした土地だろう。そうした地域の課題や文脈から数々の魅力ある卒業設計は生まれている。しかし、少し引いてみれば、私たち建築学生は卒業設計のため、もっといえば大学卒業のために敷地を利用しているともいえるのである。卒業設計はアンビルトであるから、敷地側から見れば卒業設計はあまり関係がなく、卒業設計の側が自らの利益のために一方的に敷地を利用する状況に陥る。自分の利益のために一方的に利用するという構造こそが卒業設計の原罪であると思う。

敷地への愛や思い入れを超えた形で敷地と卒業制作がつながることはできないのか。その一つの方法が敷地へ卒業設計を報告し、発見した敷地の可能性を知ってもらうことではないか。このような考えの下、今回、私は敷地で卒業設計の展示を行った。

また、今回は模型のお手伝いをしてくれた後輩たちも、卒業設計の打ち上げを兼ねて彼らが模型にしたまちへ招待した。

過去に敷地まで行って卒業設計を何らかの形で還元した京大の先輩の話がいるということは聞いたことがある(※)。今回はとくに私が感じたことを書き連ねることで、敷地で卒業設計を展示することがどういうものか、これを記録として皆様に共有したい。

卒業設計での敷地調査

愛知県瀬戸市はセトモノの産地として知られる窯業が盛んな街である。
写真は、窯垣の小径。窯垣とは使い古された窯道具(=窯焚きの際に用いる道具)を積むことで垣をなしたもの。

院試を終えた2023年の8月中旬に敷地となる瀬戸市の旧市街・瀬戸を訪れた。私にとって瀬戸市は母の出身地であり長年住んでいた名古屋市から近いこともあり、幼いころから頻繁に訪れている街だ。しかし、卒業設計の敷地として、言わば卒業設計のために利用するための調査として訪れるのは、このときがはじめてだった。

敷地として「瀬戸」を捉えると、地元・瀬戸とは違った側面も多く見えてくる。特に大学入学と同時に京都に来てから街中を歩くことすら数年ぶりのような状態だった平凡な地方都市が、京都という離れた地での生活を通して、少し異質なものに見えてきた。例えば、街角に「陶器もらってください」の看板があったり、まちの真ん中にある神社の鳥居の一部に陶器が使われていたり、間違いなくセトモノのまちとして文化が根付いていると感じた。また、多くの方にインタビューにご協力いただき、「瀬戸」への理解を深めることができた。こうして「見つけた」まちの特徴やその一方で失われつつある文化を題材に、生物学の概念を適応することで卒業設計を行った。

この「瀬戸」を題材とした卒業設計は、京都の関西地区の卒業設計展と仙台の全国規模の卒業設計展に出展し、それなりの評価も頂いた一方で、冒頭でも書いたような一つの違和感も感じていた。自分の卒業設計を終えるために「瀬戸」を利用するだけでいいのか?

もちろん卒業設計の目的は人それぞれであると思う。建築家になるためのキャリアの第一歩として卒業設計展で高い評価を得ることが目的の人もいれば、これまで自分が取り組んできた設計課題のなかで興味を持ったトピックについて突き詰めることが目的の人もいるし、学位を得ることが目的の人もいるだろう。こうした様々な人がいる中で、特に私の目的は「地元・瀬戸と向き合い、このまちが生き残るために、建築という形でできることを考える」ことだった。そうであれば、題材として扱うために「」をつけて捉えた「瀬戸」と、確かに存在する瀬戸を重ね合わせることは目的に適うのではないか。つまり、卒業設計そのものは空想でも、調査・分析ののち再解釈した都市像や、提案としての都市の可能性を瀬戸へ還元することで、卒業設計が敷地においても少しは意味をもつのではないかと考えた。

漠然とそのようなことを感じているうちに、私の卒業設計は、大学から京都、宮城を回って実家のある愛知へ帰ってきた。

ひとり卒業設計展~展示まで~

学内学外の卒業設計展が終わり、少し落ち着いた3月末、インタビューにご協力いただいた方々に卒業設計を報告するために瀬戸市を訪れた。敷地調査でお世話になった南慎太郎さんへ報告に伺った際に、卒業設計で感じていた違和感を話した。そして、瀬戸を題材とした卒業設計を瀬戸で展示できないかお願いした。南さんは敷地近くでゲストハウスを経営しており、ご厚意でゲストハウスの一部をお借りして展示させていただけることとなった。

展示場所となったゲストハウスますきち。陶工の川本桝吉の旧宅を改装したゲストハウスで、地域の人々に愛されている。旧市街地の中心駅からは細い道をたどって歩ける距離にあり、卒業設計の敷地からも近い。

その後、4月中頃には、再び瀬戸市を訪れ、展示の詳細を詰めに伺った。ゲストハウスの部屋を実測し、模型をどのように配置するか、パネルをどのようにおけるかを検討するのが主な目的だ。通常の展示会場とは違い、ゲストハウスは陶工の旧宅を改装した民家建築であるため、展示場所は畳敷であり、天井高もあまり高くない。学内外の展示では視線の高さを合わせるために、段ボールで作った高めの模型台を用いていたが、ここではそんなに高さを出しては圧迫感があり、かつ、畳の上では安定しない。なにより、民家建築の雰囲気に合わない。そこで、低めの高さにしようと思い、ゲストハウスに相談したところ、プラスチックボックスとタナイタをお借りできることになった。タナイタとは、突っ張りにかけることで棚になる板のことで、瀬戸では窯業での粘土の乾燥を始め、各種工房や商品棚としても用いられることがある。まさに私の卒業設計でのキーワードの一つであり、京都での展示ではわざわざタナイタのモックアップを作ったほどだったので、本物のタナイタをお借りできるのは願ったりかなったりだった。展示ではプラスチックボックスの上にタナイタを載せ、その上に模型を載せることにした。こうすることで、畳の上に座るとちょうど視線の高さが模型にあうようになる。

配布したチラシ

その際に同時に、チラシを作成し市内各所に配布した。せっかく展示をするのであれば、なるべく多くの方に来ていただきたいと考え、敷地調査でお世話になった場所や、市内中心部の複合施設、資料館、病院などを中心におよそ500枚配布した。配布する中で、建築学科の卒業設計というものそのものに興味を持っていただけた方もみえた。

敷地とした瀬戸市営宮川駐車場でメインパースと共に撮った一枚。旧市街地にある疎開道路で、産土神を祀る深川神社の参道にあたる象徴的な場所。

ひとり卒業設計展~当日~

模型の展示を終えたところの様子。ゲストハウスのカフェスペースの一部をお借りして展示を行った。この日は展示に合わせて通常より早い13:00からカフェ営業が行われた。

2024年の6月29日、祖父母宅から模型の搬入を行い、ひとり卒業設計展がはじまった。二つ不安な点があった。一つは、展示会に人が来てくれるかということ。もう一つは、敷地のプロである住民目線で私の卒業設計はどのように評価されるのかということ。前者は単純に建築の卒業設計、しかもただの学生の作品を見に来て下さる方がどれくらいいるのかという懸念。後者は、そもそも卒業設計という空想の建築が実際に住民の方の目にどう映るのかという懸念。敷地の事情に関して知り尽くしている地元の方々の目線からは、卒業設計で考えた空想の建築は、現実離れしすぎていて受け入れられないのではないかというもの。こんな心配をしていた。

実際に展示が始まると、ややフライングで知り合いの方がみえて、展示に来て下さる方がいるということに安心した。卒業設計とは何か、敷地はどこか、どのような意図で設計したのか、瀬戸がどうしたかったか、そうしたことを一人一人に説明していく。すると、卒業制作の非現実感はむしろ肯定的に捉えてくださる方が多かった。

展示には約80名と多くの方がいらっしゃった。窯業関係の方、行政関係の方、祖父母の知り合い、高校の先輩、愛知県の建築学生の方々など様々な方々にお越しいただいた。写真は瀬戸市議の山内精一郎さん。

ここで少しだけ私の卒業設計の紹介をしよう。(次の一段落は読み飛ばし可)

私の卒業設計は、都市を生物と解釈し、その魂たる都市のアニマをいかに未来に繋ぐかというものである。瀬戸という街は窯業から派生して文化や風習・信仰が生まれた街であるが、現在は窯業にかつてほどの勢いがなくなりつつあり、従来、瀬戸にあった動的な秩序は失われつつある。私は都市の魂は、都市特有の秩序を命として宿ると考え、いままで都市が生んだ文化やモノの剥製保存ではなく、秩序の維持をすることこそが都市の魂を未来につなぐ本質だと捉えた。時代に合わせてそこにあるモノは変わっても秩序さえ変わらなければ都市は生き残る。例えば、かつて窯を焚く際はおにぎりがふるまわれ、現代神楽の一座が来たそうだ。現代なら、ピザがふるまわれて、アイドルが踊りに来るかもしれない。時代に合わせてモノが変わっても窯の周りで食べ物を分け合い、わいわい騒ぐという秩序が変わらなければ都市は生き残れる。この建築は、秩序をうむ六つの行為を用意し、その周りにタナイタによって動的な秩序が建築に表出することを意図して設計した。そうすることで、瀬戸の魂がせめて建築には残り、いつか再び瀬戸に秩序が広がることを願うものだ。

このように卒業設計の説明を書くと実に分かりにくい。実際、これまでの卒業設計展では考えたことが伝わったとは思えない。タナイタひとつをとっても説明は難しい。ましてや、模型を見て、数分の説明を聞いただけでは、この建築が瀬戸らしいのか、瀬戸にあると良いのかどうかなど、判断がつくわけがないと自分でも思う。私の卒業設計の建築の中では、豚が飼われ、椿が咲き、粘土に子供がダイブし、屋根にはなぜかトタンが乗り、ところどころ、窯垣というものでできた壁がある。これらはすべて文脈があるのだが、これが瀬戸らしいといってもなかなか伝わらない。

敷地で展示・発表を行って一番良かったのは、そこまで説明をしなくても伝わるという点だ。住民の方々にとっては、タナイタも窯垣も少なくとも聞いたことはあるものだし、トタンも見慣れているのでスッと入ってくる。敷地も場所が分かればイメージが湧き、前提条件についての説明がほとんどいらない。一言目で「なんか瀬戸にありそうなタテモンやね」と言ってくださった方もみえてとても嬉しかった。都市のアニマの話は説明こそ必要だが、具体例を話すと、あーとすぐに納得して頂ける場合が多く、むしろ、「瀬戸では、こういうのもモノが変わった例としてあるよね」という具体例も複数教えていただいた。細かくこだわった箇所にも気づいて頂けることが多かった。

展示・発表の中で、先ほど、卒業制作の非現実感を肯定的に捉えてくださった方が多かったと述べた。具体的には「これくらいのことやらなかんよね」「これだけのことやりゃあ瀬戸ももう少しよくなるわ」と言ったものだ。非現実感はむしろ街の可能性を強く映し出す。いつも見ている街のもつ可能性が卒業設計を通じて、住民の方々にも伝わったと感じた。

展示で用いたタナイタ。

一方、敷地のプロだからこそのご意見も頂いた。例えば、多かったものでいうと、これを私の選んだ敷地でやるのは非現実的だが、別の場所なら現実的だし、魅力的ではないかというもの。私の選んだ敷地は商店街の駐車場としての需要があり、それよりは旧市街地にある別の広場がこのように変わればとても良いのにというものだ。敷地選定については、こちらの広場も敷地の案としていたため、今一度考えるきっかけとなった。他にも極めて細かい箇所についてのご指摘が多く、敷地調査の段階と比べて、改めて瀬戸という街への解像度が上がった。

こうした敷地のプロからフィードバックを頂けることは、建築のプロからフィードバックを頂ける卒業設計展とは違った意味があると思う。私の場合、敷地の読み込みや解釈の適切さや、それを瀬戸らしさを活かす形で設計に組み込めているかという観点から、敷地ではとても有意義なフィードバックを頂けた。細かく読み込み解釈した敷地について、同じく詳細に議論できるのは敷地ならではである。

発表の様子。小さい子からお年寄りまで多くの方にお越しいただいた。

私の発表後、保存されている瀬戸の文化財の活用や街のこれからの在り方について、同席した方々が議論することもたびたびであった。私にとって嬉しかったのは、卒業設計で話題とした観点から議論が始まったことが多々あったことである。敷地へ卒業設計を還元するという目的、これが観点の提供をもって実現した。実際の敷地としての瀬戸と、卒業設計の題材としての「瀬戸」が重なり、それが瀬戸の議論に集約していったのだ。

敷地での展示を終えて

冒頭で触れて以来、ここまで触れてこなかったことにお手伝いの後輩との打ち上げを兼ねたということがある。卒業設計提出の二週間前から模型製作のお手伝いをしてもらう中で、打ち上げで瀬戸に行く可能性が浮上した。模型を作る中で瀬戸に行ってみたいという話が出たのだ。「何か賞を取ったら瀬戸で打ち上げをしよう」という約束のもと卒業設計の模型製作を進め、約束通り打ち上げは瀬戸へいくことになった。

実際に敷地へ行くと、敷地模型を作るためにGoogle Earthで見ていた景色が目の前に現れたり、資料館ではタナイタを用いていた全盛期の映像が見れたり卒業設計の打ち上げとしては意味もあるものになったと思う。卒業設計の展示会ができたのはお手伝いの後輩の力があって模型ができたからこそであり、この打ち上げを通じて感謝の思いが伝わっていれば嬉しい。

系列のお手伝いの後輩と当日手伝いに来た同級生(うしろ)。ゲストハウスのオーナー南さん(まえ右)。敷地調査でお世話になった渡辺さん(まえ中)。筆者(まえ左)。

卒業設計の展示を通して、瀬戸という街を愛する方が多いということを改めて感じた。展示発表へのフィードバック、さらにはそこから派生した議論で聞かれた話には、瀬戸への愛があふれていた。今回、卒業設計は、敷地への理解をさらに深め、街の未来について議論する道具として有効に機能したと考える。卒業設計を作る上で敷地調査にご協力いただいた多くの方々、そして、瀬戸での展示の機会を与えてくださった南さんへ改めて感謝をお伝えしたい。この街を愛する一人である私の卒業設計が、なんらかの形でこの街へ還元されていれば幸いである。

(※)卒業制作の敷地への還元の例として、周囲に聞いただけでも次のようなものがあることが分かった。

・2023年8月20日(日)〜9月5日(火)牡鹿半島ビジターセンター「特別展示 磯に生きるを灯ス」 2022年度卒業・佐藤夏綾

・2022年10月30日(日)〜31日(月)男木島 ポートフォリオ冊子を敷地にて配布 2022年度卒業・野上乃愛