建築学科において、わたしたち建築学を学ぶ学生は「建築家」になるためのトレーニングを受けることができます。さて建築家とはどんな職能かというと、一般的に建物を建てるという長大な過程の中でも設計、つまり立体的に形を決定して図面という道具で施工者に指示を出す役割を担います。
そんな設計を専ら行う建築家に対して、設計と施工を一手に引き受ける職業が存在します。その最たる例が、「数寄屋大工」です。数寄屋大工とは、近代以降は高級住宅や料亭、旅館なども手掛けますが、もともとは専門知識と技術を高度に両立することが求められる茶室においてその端を発した職業です。
今回は建築学を専攻する大学院生2名を中心に設計から施工まで、建築する過程の一部始終を行った、言わばわたしたちの「数寄屋大工的建築手法」についてお話します。
事のはじまり
大学を卒業し数か月が経った初夏の頃、不意に「重要文化財である綿業会館の一室の改装に興味はないか」という気になる連絡が届きました。メールの差出人には、JIA(日本建築家協会)近畿支部とあります。この文字列によって、わたしは一か月前の卒業設計コンクールのことを思い出しました。
建築学科の中でも、設計を主に学ぶ学生は卒業論文ではなく卒業設計を行いますが、この卒業設計が評価を受ける場というのは第一に学校内の最終講評会が挙げられます。さらにそこで選出された各大学数名の作品は学校外の卒業設計コンクールに出品され、全国の顔も知らぬ学生たちの作品と並べ比べられることとなります。JIA主催の卒業設計コンクールも、その一つでした。JIA近畿支部は、その近畿大会にて入賞した学生に自らの事務室の改装を依頼するため、種々の大学院に通う学生たちとコンタクトを取ったのでした。
その事務室は、先に触れた通り重要文化財である綿業会館の一室にあたります。そのような大切な小部屋の改装を学生に依頼するという、冒険的とでも言うべき試みを「日本建築家」を冠する団体が発案しているということに、わたしは強く興味を惹かれ、それと同時に僅かな困惑を覚えました。なぜなら、そこには「学生が設計から施工まで行う」という、いささか冒険的すぎるような文言が付されていたからです。
当時のわたしは京都大学建築学科において4年間建築学教育を受けていましたが、その設計演習では実際の土地を敷地として想定して100分の1や200分の1に縮小した模型や図面を作品として提出する、設計行為に的を絞った内容が常の課題であったため、実際のスケールで使えるものは椅子ひとつ作ったことがありませんでした。
絢爛な綿業会館
このような条件でまずイメージしたのは、施工はインパクトドライバーや丸ノコといった扱いやすい木工工具で行える範囲内と想定し、その前提の上で実験的な造形・空間構成の設計に注力することでした。しかし、この計画は綿業会館を初めて訪れてすぐに「それでは駄目だ、ありえない」と立ち消えることとなります。なぜなら、わたしたちはそこで綿業会館がいかなるものかを知る事となったからです。
綿業会館とは、当時「東洋のマンチェスター」と呼ばれた大阪の町に1931年に竣工した元会員制ビルです。日本が紡績業でイギリスを抑え、綿製品輸出世界一になったことを記念して計画されました。設計を担当したのは様式建築を得意とする渡辺節氏であり、渡辺建築事務所の当時所員であった村野藤吾氏がヘッドドラフトマンを担当したことでも注目されています。戦前・戦後にわたって、リットン調査団、ルーズベルト大統領夫人、ヘレンケラー、その他歴代の首相など、歴史上に残る人達が来館していたということから、この綿業会館が内装の贅をもって世界に大坂の威厳を誇っていたことが夢想されます。
会館にまつわるお話を伺い各部屋の案内をしていただきながら、内心冷や汗が流れる思いでした。学生施工程度のクオリティの代物をこの建築に置いてはいけない。それをするくらいなら、まだ何もしない方がよいのではないかとすら考えました。いくら優れた設計であっても、ビスが見えたり、断面が不細工に露出したり、塗料の塗りムラがあったり、そういった施工の些細な不手際で興醒めになってしまうような様子はいくらでも想像がつきました。また、「優美」という言葉がぴったりなこのなめらかで繊細な建築に、わたしたちが扱える範囲の木材加工でできた直線中心の構築物を加えることはどうしても憚られました。
こうして、わたしたちは一時間にも満たない綿業会館ツアーのうちに、この改装計画における主題は「施工」にあるということをまざまざと突き付けられました。そんな状況を踏まえて幾度も話し合いを繰り返す中でわたしたちの視線が向けられたのは、桂キャンパスに設置された「ShopBot」の存在でした。
救世主 -加工機械ShopBot
今回の計画の、まさに救世主とでも呼ぶべきアイテム。それが、加工機械であるShopBotです。ShopBotとは、入力した2D、3Dデータ通りにコンピュータ制御されたドリルが動き、木材などを掘削することのできるCNCルーター(コンピュータ数値制御ルーター)の一種です。京都大学に設置されたものは1.2m×1mほどの大きさの卓上型であり、900㎜×600㎜程度の部材サイズまで加工することができます。
つまり、この機械を手懐ければ、コンピュータ内で作ったいかなる造形をも正確に木材加工することができるということです。いかなる造形をもということは、曲線的であっても、三次曲面的であっても加工可能だということです。改装にあたって「正確さ」と「曲面加工」を切望していたわたしたちにとって、これほど適した加工ツールはないように思えました。
わたしたちはこの機械に望みを託す覚悟を決め、大学に設置されて以来一年以上あまり積極的に利用されていなかったこのShopBotでの加工に着手しました。こうして、わたしたちは従来のレベルを超えた建築行為を行う「好機」と、それに叶う「手段」を結びつけることができました。
さて、曲線を中心とした設計が終わり、先端技術ShopBotでいざ実作という時、やはりそうクールにはいかない現実にぶつかることとなるのです。
もがきの記録
今回のわたしたちの設計では木材を主な材料とし、ShopBotを2D加工と、3D加工の両方で利用する計画を立てました。つまり、天板を渡すアーチ119本と棚板を線データから、そして天板を支える回転形24個を立体データから切り出す必要があったのです。実際やってみてすぐに気が付いたことは、2D加工と3D加工でかかる時間が恐ろしく異なるということです。
2Dでも3Dでも900㎜×600㎜の板から最大数部材を掘削できるようみっちりと配置したデータを用意して加工したのですが、アーチのための2D加工は稼働から切り終わるまでに24㎜の板1枚2時間程度で済むのに対し、回転体のための3D加工は半分の厚みの12㎜であるのに1枚8時間ほどかかりました。なぜこのような時間の差があるかと言うと、2D加工では指定した線に沿って掘削させることができるのですが、3D加工では仕様上そのような加工指示は叶わず、「この形になるように表面をドリルでなぞる」という指示の出し方にならざるを得なかったからです。すると何が起きるかというと、削る必要がない箇所も、板の上すれすれをドリルが滑る時間が生まれます。
この無用な時間を削ろうと必死に画策したのですが、悪戦苦闘の末にこれを仕方が無いとして受け止めました。コンピュータ制御の加工機ということで、わたしたちはデータを入力して待っていればいいのかと想像される方もいるかもしれませんが、実際は洗練された作業風景とはかけ離れたものでした。歪んだ木材が浮かないようにShopBotに数十箇所ビス留めし、ずれれば緊急停止ボタンを押し、切断が甘ければそれ用にデータを修正するなど、ほとんどの時間は何かしら体を動かしている必要があったのです。ShopBotとの死にもの狂いの日々は、一か月以上に及びました。
アーチ継ぎ手加工 Shopbot未解決誤作動 回転体やすり前-後
ShopBotに興味がある方のために書き残して置くと、最終的にShopBotの切り出しにかかった時間は天井にかけるアーチ(幅1792㎜)119本と棚板(875×458㎜)60枚、回転体24個分(900×600㎜一枚から一個分弱作成)の時間を合計してだいたい390時間(36日間)でした。ShopBotもわたしたちも、最後までよくもちました。
ついに施工へ -建築する不安
わたしたちはShopBotの力を借りることで、幸運にも従来と桁違いの加工性能を確保することができました。しかし、ShopBotでは加工はできても施工、つまり組み立てをすることはできません。どうすればビスを露わにせず結合できるのか。どの順序で進めてゆけば最も安全に、効率よく進行できるのか。組み立てには、人間の——建築施工を理解する専門職としての知識が不可欠です。この施工の段階では、伊賀正隼君に本当に助けられました。彼は、この計画をともに進行していた当時大阪公立大大学院の学生です。わたしに欠けていた知識と経験を、彼は大学時代のサークル活動で体得しており、必要な時に的確な指示を与えてくれました。
施工中はわたしや伊賀君の後輩などが手伝いに、またJIA所属の建築家の方々が応援に来てくださりました。わたしも毎週に及ぶ施工過程の中で、当初の施工への躊躇いはどこへやら、すっかりインパクトが手に馴染むようになりました。
数年前の製図室からの帰宅中、同じく建築学科のわたしの友人が「建築というものが巨大すぎて手に負えるイメージがつかない」と不安感を口にし、それに共感したことをよく覚えているのですが、今回の改装計画を経て明らかにその不安感が希釈されていることを自覚しています。
「建築」と呼ぶには、広義の、という意味の鍵括弧を付けなければならないほどに小さな構築物ではありますが、設計したものを自分の管理下で具現化するという数寄屋大工的経験は、社会的な実作を恐れるわたしにとって一種の自己治療のような効能も持ち合わせていました。
おしまいに
わたしたちが行うこの改装に、どんな意味を持たせられるのか? そんなことを常に考えさせられた計画でした。それも、JIA(日本建築家協会)近畿支部から挑戦的な機会と多くの建築家の方々・事務のお二人からの支えを、大学からはShopBotという学生の挑戦に味方する機器を提供していただいたおかげであり、見返りを求めることなくお力添えいただいたみなさまには感謝の言葉が足りないほどです。(本当はお名前を挙げてお礼をお伝えしたいところですが長くなりますので、また別の機会とさせていただきます。)
綿業会館という、職人の手仕事による高級なstylish(様式的)建築に、デジタルファブリケーションの活用による安価なun-stylish(非様式的)制作物をあるレベルで接続・調和させること。そんな冒険的な目論見の完結を、肯定的な形でここに記録できることに胸を撫で下ろしています。お目通しいただき、ありがとうございました。
設計者 周戸南々香・伊賀正隼・上田雄貴
施工者 周戸南々香・伊賀正隼・他学生等17名
発注者 JIA近畿支部
予算 150万円(交通費や試行費用等含めプロジェクトに関する全ての費用)
設計期間 1年半(2021年10月-2023年4月)
施工期間 1か月半(2023年3月-2023年5月)