京大建築の歴史を物語る文化財「京都帝国大学工学部建築学教室旧蔵 建築教育資料」をご紹介します ―武田五一と近代の建築教育―

「建築教育資料」にはどのようなものがあるのか

さて、次は「建築教育資料」として収集された物品を写真とともに見ていきましょう。

建築模型

数ある物品のなかでひときわ目を引くのは建築物の模型でしょうか。日本の古建築や近代日本の洋風建築のほか、西洋の古典であるパルテノン神殿の模型や、朝鮮半島の伝統的な住宅など、様々なジャンルの建築模型が収集されています。

「法界寺阿弥陀堂」の10分の1模型。大正十一(1922)年7月22日に納入された、建築学科が創立当時から所蔵する古い模型。ちなみに法界寺は京都にあります。
東福寺東司の柱と組物のモックアップ。大正九(1920)年の修理工事で取り外された実物の柱。
パルテノン神殿の模型。
木曽地方の民家の模型。日本の古建築模型は寺社建築が大半を占めるが、民家もある。
「朝鮮中流民屋」の模型。アジア圏の建築の模型も収集された。壁や柱に張られた紙まで精巧に再現されている。ガラスのショーケースが付属していたため、今回の整備事業を経て、新たにC2棟の展示に加わった。

材料標本・器具標本

C2棟1階の隅にある棚には、大理石やタイルのような、内装外装に用いる素材の見本や、水栓器具やドアの錠前のような、設備や建具に用いる器具の見本が数多く収められています。これらの多くは、近代の西洋化のなかで新たに登場した素材や設備に関連する見本であり、近代化・西洋化を見据えた当時の建築教育の姿を物語る物品です。

装飾用の大理石標本。大理石の色や模様は様々で、適切な場所に適切なものを使用することが求められる材である。武田五一は石材の調査を行うなど建築材料にも詳しい人物であり、武田本人がこの本を用いて石材の性質や使用法について講義を行うことがあったのかもしれない。

建具ひな形

「建築教育資料」のコレクションのなかには、日本建築や和風建築に用いられるような建具のひな形もあります。昭和四(1929)年に納入された、これらのひな形のデザインは、近代の町家や和風住宅でよく見られるもので、どこかモダンな趣を感じさせます。障子や板戸のほか欄間や町家の出格子の雛型もあり、京都という場所だからこそ、大学でも町家の近代化が考えられていたのでしょうか。戦前の大学における建築教育には和風住宅を教えるイメージがなかったので少し意外でした。

欄間装飾のひな形。筆者は趣味で欄間装飾の写真収集を行っているが、これは近代の和風住宅によく見られる、モダンなデザインの欄間という印象がある。
建具ひな形とは少し離れるが、襖引手の模型もある。写真は花手桶形引手。
桂離宮新御殿のものが有名だが、この模型とはデザインが異なる。

工芸品

「建築教育資料」には、建築に直接関係のない花瓶などの工芸品も含まれています。

陶磁器の花瓶。これが教育のために使われたのかが気になる。
陶器の馬。物品名は「唐代土馬」、世界史で習う唐三彩の馬である。
銅鏡。

謎の物品

筆者が思う「建築教育資料」の興味深いところは、戦前近代の資料のなかに、明らかに戦後に追加されたであろう謎の資料や備品が紛れ込んでいるところです。今回の整備事業で実際に手に取ってみると、これら謎の物品も建築教育の様相を示す貴重な物品であることが分かりました。

ガラスが割れた額縁。
補修も適当であるが、中には「設計演習第一の四」で使用された参考図面が入っている。一の四ということは現在でいうところの一回生後期の課題だろうか。ちなみに図面は「1956年1月 朝日新聞社“理想的な現代住宅” 設計応募作品」である。当時の講師が描いたものだろうか。
土偶。
「茨城県東海村 原研四号住宅 建設現場」から出土したもののようだ。なぜここにあるのかは不明。日本原子力研究所の東海研究所(現:原子力科学研究所)が設置されたのは昭和三二(1957)年のことで、戦後に追加されたことは確かである。
段ボールに入ったレンガなど。
書き込みから、レンガのうちひとつは「昭和54年9月10日」に京大の正門を改修した際のもので、もうひとつは「1982年2月9日」に採集された三井銀行京都支店の外壁のものであるとわかる。ちなみに三井銀行京都支店は四条烏丸交差点の南西角にあった大正三(1914)年竣工の建物で、昭和五七(1982)年に取り壊された。現在はファサード(外壁の一部)のみ残されている。
古そうな棚。
引き出しの中には、「56年2月20日」の「建築構造力学第一」の座席表が入っていた。昭和五六(1981)年のものだろうか。授業には52年入学から54年入学の生徒が出席していたようだ。
ぼろぼろになった、柱と思しき木材。
一見すると、これまでの物品同様に、戦後に追加されたものに思われるが、後述する金属プレートが取り付けられていることから、おそらく戦前に収集されたものと考えられる。以下は筆者の妄想に過ぎないが、この木材は寺社の修理現場から出た古材である可能性がある。武田五一は京都府技師を経験するなど、文化財の修理にも関与しており、白蟻被害によって取り外された唐招提寺の柱を標本として引き取ったことが知られている[1]。これもそのうちの一つであるとすれば、京都や奈良の古寺の柱として使われていたものかもしれない。

 

石膏模型

今回の整備事業では、地下の収蔵庫に収められていた石膏模型のクリーニングを行いました。石膏模型には柱や柱頭、エンタブラチュア(柱の上にのる水平の部材)など建築の一要素を取り出したものや、モールディング(凹凸のある帯状の装飾)や、レリーフなど、装飾の見本が多くあり、西洋の様式・図案教育に用いられたことが容易に想像できます。それ以外に、美術室にあるような石膏像もあり、多種多様な石膏模型が収集されたようです。

柱の石膏模型。オーダーはコリント式。エンタブラチュアの構成がよくわかる。今でも西洋建築史の授業で使えそうな物品。
柱頭の模型。四辺には、この柱頭がどの位置のもので、どの面がどの方角を向くかが書かれている。
レリーフの石膏模型。特大サイズの模型もあり、これは短辺が90センチ、長辺が130センチほどある。
キリスト像の頭部。首だけの石膏像もある。像の経年感もあいまって少し怖い。

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この記事の研究室

冨島・岩本研究室

歴史的建築・都市の継承・保存・再生をめざして。