今回の整備事業について ―石膏模型のクリーニングを中心として―
先述したように、今回の整備事業は地下の収蔵庫に収められていた石膏模型のクリーニングを中心に行われました。これらの石膏模型は文化財であるため、そのクリーニングは文化財修理を専門とする業者の方々によって、細心の注意を払いながら進められました。作業を担当された文化財IPMコーディネータの和髙さんに、石膏模型のクリーニング作業についてお聞きしました。ちなみに、「文化財IPM」とは、薬剤だけに頼ることなくカビなどの生物被害を防除する手法を、文化財の保全に導入したもので、より具体的には
「清掃・温湿度調整などの環境管理と薬剤などを用いた防除を組み合わせ、文化財に加害する害虫をなくし、目に見えるカビの被害を防止することを目指す方法」[2]
です。
クリーニングの工程について
前回の「建築教育資料」の整備はキャンパス移転に合わせて2004年~2005年に行われ、前回の整備から約20年が経過していました。収蔵庫内の資料には20年のあいだに埃がたまり、カビの発生も懸念される状態でした。そのため、貴重な「建築教育資料」を良い状態で保存し、再び活用するためにも資料のクリーニングが必要でした。
幸い、資料についていた汚れは埃由来のものが多く、カビが発生していたものはごく少数でした。カビが発生したものについても、近年発生したものではなく、既に乾燥した状態のものであったそうです。地下の収蔵庫は、文化財の保存のための環境制御について研究されている小椋・伊庭研究室と企業との共同研究の一環で、2021年6月にデシカント式除湿機が設置され、湿度が適切に管理されていたことが功を奏したといえるでしょう。京大建築式では昨年小椋先生へのインタビュー記事が公開されましたので、ぜひご覧ください。
今回の整備事業では資料のクリーニングにあわせて収蔵庫の消毒も行われました。そのために、一度資料を収蔵庫から出し、C2棟1階に広げられました。2024年12月から翌年1月にかけて桂キャンパスに訪れた方であれば、その様子を目にしたことでしょう。そのさいに、クリーニング作業も同じ場所で進められました。

クリーニングの工程は、まず施工前の写真を撮ることから始まります。文化財のクリーニングであるため、当然のことではありますが、作業によって物品がどのように変化したのかをまとめる必要があるからです。文化財の建造物に関しても同様で、修理前の図面や写真を記録し、報告書にまとめる必要があります。
次に、刷毛や筆を用いて、1点1点傷つけることのないように、手作業で埃を除去します。ここで使われる刷毛や筆は、絵画用と同じもので、毛先が柔らかい羊毛やナイロン製のものがよく使われるそうです。今回のクリーニング作業にあたって、新品の筆を用意したそうですが、インタビューを行った2025年1月20日は作業が終盤に差し掛かっていたこともあって、筆は黒くなるほど汚れ、毛先は摩耗して短くなっている状態でした。20年間蓄積された埃の多さや、200点近くある資料を手作業で埃を払う大変さがよくわかります。

刷毛と筆で落とした埃は掃除機で吸い取ります。このとき、カビを含んだ埃を吸っても、カビが空気中に飛散しないように、掃除機には空気清浄機に用いられるHEPAフィルターを取り付けます。最後に作業後の写真を撮影してクリーニング作業は完了です。
石膏模型のクリーニングについて
和髙さんは、この整備事業で初めて石膏の歴史資料を扱われたそうです。普段は民俗資料など木製の物品のクリーニングが多く、他の文化財クリーニングの報告をみても石膏製の文化財を扱ったという事例は多くないといいます。歴史資料として評価された文化財で、石膏製のものが多数あるという事例は、木や布、紙を多用する日本では珍しいのではないでしょうか。
このように珍しい事例ではありますが、石膏模型のクリーニングであっても、一般的なクリーニングの手法を採用することができるようです。しかし、材料の特性を踏まえて注意しなければならない点があり、エタノールによる消毒を避ける必要がありました。石膏は吸水性が高く、むやみに水分や湿気に近づけることはカビ発生のリスクになるからです。このように、石膏模型をクリーニングする経験は珍しく、担当者としては間近に見る機会が少ない美術品を楽しみながら、作業を行うことができたといいます。
筆者が資料を観察してわかったこと ―資料の整理番号を見る―
筆者は、資料を再び収蔵庫に収めるための資料の実測と、新たなデータベースの作成を行いました。そのさいに、資料を間近に見て、資料に貼られたラベルや書かれた文字などを観察しました。ここでは、筆者が観察したことから、京大建築の歴史のなかで資料がどのように使われ、管理されてきたかについてまとめます。
資料には、おもに4種類の管理番号が振られていました。ひとつは、資料の納入を記載した「備品監守帳」にある、おそらくオリジナルである可能性が高い整理番号です。これは、資料に取り付けられた金属プレートや、資料に直接書き込まれた文字に見ることができます。


金属プレートは、整理番号を示すほかのラベルや書き込みのなかでも、最も経年しているように見え、大正から昭和初期にかけて納入されたときに取り付けられたものである可能性があります。プレートの位置は、図案や模様に重ならないように、側面や裏側に取り付けられていて、標本として鑑賞することが考慮されていると考えられます。このように、この整理番号は、標本として活用されていた時代をうかがわせるものだといえます。
一部の石膏模型には、金属プレートの番号とは異なる数字が彫りこまれています。この番号が振られた時期は不明ですが、文字の書きぶりにはどこか古風な感じがあります。

金属プレートと彫りこみによる整理番号は、比較的古いものであると考えられます。そのほかに、赤枠もしくは青枠のラベルに書かれた整理番号があります。ラベルの状態からみて、比較的最近つけられたものであると考えられます。この番号は「カタカナ・アルファベット―ひらがな―数字」の様式でつけられていて、後年の整備で品目ごとに細かく、かつわかりやすく分類した結果つけられたもののように見えます。このラベルは、金属プレートと比較して雑に付けられていることも多く、標本としてというよりは、物品の収蔵のためにつけられたのでしょうか。

最も新しいラベルは、2004年~2005年の整備時に付けられたテプラのラベルです。整理番号は、番号から品目が分かるように付けられました。例えば下の写真の008はそれが建築模型に分類されることを意味します。

このように、資料が収集された戦前から、何度か資料整理が行われたことがわかります。古いと考えられる番号が、資料の側面や裏面につけられていたのに対して、赤枠ラベルは資料の目立つ部分に雑に貼られています。これが貼られた時期には、標本として使われることが少なくなっていたのでしょうか。これらの番号やラベルから、資料の使われ方を推測することができます。時間の経過の中で資料が破損し、破片のそれぞれに別の整理番号が振られていたこともありました。2つの破片が合うのではないかと気づいたとき、何か重大な発見をしたのではないかという気にさせられました。
おわりに
「建築教育資料」の標本は、近代における先進的な教育資料に過ぎないこともあって、現在の建築学科の教育でこれらが用いられる事はありません。そのため、この資料について知る方は年々少なくなっているのではないでしょうか。今回の整備事業の目的のひとつには、収蔵庫にしまわれていた多くの資料に光を当て、いつでも取り出せるように収納方法を改善するというものがありました。これによって、再び標本として使用したり、近代の建築のありかたを物語る資料として活用したりすることができるようになるでしょう。この記事が、謎に包まれていた「建築教育資料」が、みなさんにとって身近なものになり、再び標本として日の目を見るための一助となれば幸いです。また、この資料を通して、近代の建築に少しでも興味を持ってもらえると、筆者としては大変うれしく思います。

出典
- 岐阜県岐阜市にある名和昆虫博物館は武田五一が設計したもので、内装に白蟻被害の研究のために引き取った唐招提寺の古材が使用されている。(出典:国指定文化財等データベース、https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/index)
- 公益財団法人文化財虫菌害研究所ウェブサイト、資格について、https://www.bunchuken.or.jp/shikaku/ipm/、(2025年2月17日閲覧)。
参考文献
- 『武田五一の建築標本』(LIXIL出版、2017年)
- 『京都帝国大学工学部建築学教室旧蔵建築教育資料』(京都大学大学院工学研究科建築学専攻建築史学講座、2006年)
取材(インタビュー)協力
合同会社文化創造巧芸 代表 和髙智美さま
ご協力いただき、心より感謝申し上げます。