スピンオフとしての留学ー経験者4人が語る、海外で建築を学ぶということ

大学生活にはスピンオフがあることがある。特に建築学生にとっては、製図室や実験室、所属する研究室で過ごすのが本編であるならば、休学や長期インターンなどはスピンオフといえるだろう。その中でも、まったく異なる物語に、”京大建築”という本編から飛び込むのが留学である。海外の大学へ行き、異なる建築教育を経験する留学は、建築を学ぶ上で大きな転機になることが多い。日本の建築教育とは異なる建築の世界の設計や研究の手法を知ることができるからだ。

スピンオフ作品を読むと、本編がより味わい深くなるのは、留学でも同じだ。私自身、留学先を経験後、帰国してみて京大建築という場の新たな輪郭に気が付いた。そこで今回は、同じく京大建築からの留学後、少し時間の経った3名の学生とともに、留学のリアルや留学したからこそ見える京大建築の特徴について語り合った。

多様な留学の選択肢

私が留学に応募したのは4回生の晩夏だ。院試が終わり、卒業設計へ向き合っている最中に、翌年の秋からの派遣留学の募集がありこれに応募した。これは大学間交換留学(大学協定校への派遣交換留学で)、大学が協定校へ学生を派遣する種類の留学だ。京大の協定校は実に多く、39か国156校(2026年3月現在)に上る。こうした様々な大学の中から私は都市計画も学べる建築学研究科のある、ベルリン工科大学を選んだ。

また、私は留学するなら大学院だろうと思っていた。それは先輩の影響である。京大建築には、先輩後輩間で模型作りのお手伝いをする”系列”という文化があり、私の入っていた系列の先輩のうち2人が修士1回生で留学していて、留学先の話を聞いていた。卒業設計を終えてから研究にとりかかるまでに、留学して別の一面から建築を見てみようと思っていた。

ここまでは私の留学の話である。だが、留学の手段や時期は様々なパターンがある。大学間の協定校へ留学する以外にも、例えば、部局間交換留学、つまり建築学専攻が独自に協定を結んでいる大学への派遣留学もあれば、自分で大学を見つけてきてする個人留学もある。現地で学ぶことも都市計画のような建築に関連することでなくてもよい。建築と全く異なる分野を学ぶこともできれば、建築の特定の分野を学びに行くこともできる。留学時期も修士1回である必要はない。留学はスピンオフだからこそ、どんな物語を選ぶかは各自に依っていて、そこから帰ってきて見えるものも違うに違いない。

留学座談会

今回、座談会には、現地での経験はもちろんのこと、留学先、派遣形式、現地で学んだことも多様な学生4人が集まった。京大建築からの留学のリアルやそこから感じたことなどを話題として提供しながら、各々の経験から語り合った。

  • 木田響介(ペニンシュラ・カレッジ / アメリカ、学部3回時に休学して自費留学)
  • 本田凌也(ミラノ工科大学 / イタリア、修士1回時に部局間交換留学)
  • 宮田大樹(ベルリン工科大学 / ドイツ、修士1-2回時に大学間交換留学)
  • 宮部祥太郎(国立パリ建築学校ラ・ヴィレット校 / フランス、修士2-3回時に部局間交換留学)

(ファシリテーター:宮田)

[Q1]留学制度と応募方法

宮田 – いつどのような方法で留学するかによって、志願のしやすさや金銭面、単位認定なども変わると思います。みなさんどうでしたか。

宮部 – 長期間の留学をしたいと思ったときに留学をしやすいのは、国立パリ建築学校ラ・ヴィレット校(以下、ラ・ヴィレット)だと思います。日本側でコンタクトを取るのが建築学科の先生だから話も聞きやすい上に、毎年誰かは留学しています。志願もしやすく情報も得やすいところはメリットだと思います。

本田 – 僕の場合も同じく、建築学科の先生が担当。数年前から始まった制度で、2名交換留学に行ける制度で、僕の時は3名の応募があった。行ける人数はラ・ヴィレットよりは少ないですよね。いいところは3カ月という短期間の留学なので、留学をしても修士課程を2年で修了できるところですね。

宮部 – ラ・ヴィレットは基本的に3人が派遣されて、うち2人が建築、1人が土木系のことが多いそうです。自分の時は3人とも建築でした。志願者は5-6名くらいです。

宮田 – 僕は大学間の協定校への派遣留学だから、決まった期間に大学に書類を提出する方式でした。第一希望と第二希望を出せましたが、僕の場合は希望していた片方が紛争当事国になってしまい、半ば自動的にベルリン工科大学になりました。枠は建築系からは1人だった気がします。

木田 – 僕の場合は、大学の先生からの紹介で大学を選びました。もともと興味がなかったわけではないですが、どうしても留学したくてというよりは紹介があってというような形です。向こうでは建築とは全く関係ないことを学んできました。さきほどの話題で言うと、奨学金はトビタテ(文部科学省が推進する官民連携留学支援プログラムで、正式名称は「トビタテ!留学JAPAN」)に応募しましたが、落ちてしまって自費留学になりました。

宮田 – 留学はお金の話題もつきものですよね。

宮部 – 僕はトビタテの応募に失敗して、企業の単発奨学金を受給した。

本田 – 企業の単発奨学金いいですよね。自分はERASMUS+ という枠組みで留学したので、奨学金として、すでに渡航費と生活費が含まれていました。とはいえ、足りず、単発の奨学金も受給しました。

宮田 – 僕の場合はJASSOの奨学金をメインで受給していました。それに加えて、現地で奨学金の案内があり、ドイツからも奨学金をもらいました。ちょうど、円安の影響が強まった時期だったので、ユーロで奨学金があったのは大きかったですね。JASSOが途中で支給額を値上げしたのもありがたかったです。

[Q2]海外大学での授業と言語

宮田 – 通貨レートもそうですが、外国に行って違いを感じることに、言語もありますね。現地では英語を話していましたか。それとも現地語を話していましたか。

宮部 – ラ・ヴィレットは全部フランス語でした。イングリッシュ・フレンドリーというクラスに行ってもフレンチオンリーでした(笑)。授業に期待というよりは、フランスという場や現地の建築を目的に留学に行った上に、ほかにもいろいろできる土地柄でしたね。いわゆる学生留学の良さがありました。

宮田 – ベルリン工科大は英語の授業が半分くらい、ドイツ語の授業が半分くらいでした。スタジオでは英語話者でチームを組むので、議論やエスキスでは困りませんでしたが、ときどき、外部講師の講演会などでドイツ語だけの時は、ドイツ人の友達に内容を聞いていました。

本田 – ミラノ工科大も大学内は英語でしたね。特に僕の場合は、授業を取るのではなく研究室に参加していたのですが、研究室内は完全に英語でした。ミラノ工科大は留学生だらけというのも一因かもしれません。

宮田 – それで言えば、ベルリン工科大も留学生が半分くらいだったので、学生間では英語がメインでしたね。意外だったのは、ベルリンは街自体が国際化しまくっていて、ときどき英語しか通じない店もあることですね。英語で生きていくことにはほとんど困らないなと思いました。

宮部 – フランスも英語でも生きてはいけます。ただ、イングリッシュ・フレンドリーの授業なのにフランス語すぎて抗議をした時には、「君はフランスに勉強しに来てるんだろ」といわれました(笑)

寮でのパーティの様子(宮田)

[Q3]留学と日本での学びの連続性

宮田 – 留学先で学んだことと、京大で学んできたことや研究テーマとすることは関わっていますか。それとも全く独立した学びでしたか。

宮部 – 自分の場合は留学と研究が深くかかわっていました。もともとの留学動機はそうではなかったのですが、留学するための意味づけとして研究と絡めた面も大きいです。研究ではパリの都市計画を研究対象としているので、その資料収集を目的としていました。当初の計画だと、マップはできても論文にはならなそうで、街区1つにフォーカスして、資料集めをさらに進めました。帰国後半年で修論を書かなければならなかったので、研究との絡みは特に大きかったですね。留学中も研究室の先生とは月イチでオンラインゼミをしていました。

宮田 – 僕はM1の途中からということで興味関心を広げる面が大きかったです。卒業設計で都市的なことを考えたので、そういうことを学びたいと思ったのも動機の一つです。研究室の先生とは1.5カ月に1回くらいは何かしらコンタクトを取って、留学後半では週に1回、研究室のスタジオにもオンラインで参加していました。

宮部 – もちろん先生によるだろうけれど、京大建築は面倒見がいいと感じることは多いですね。

本田 – 自分の場合は修論のためというわけではなく、プロジェクトベースでつながりがありました。京大の所属研究室が解体材や構法の研究室で、たまたま解体材を使って建築やインスタレーションにつかうということをやっている研究室があり、そこに留学したので、向こうでも自分のテーマにつながるプロジェクトに参加しました。間接的ではありますが、修論へのヒントは得られたと思います。

宮部 – 修論に絡める必要はないのではないかと思います。M2から留学したら修論とは関わりますが、M1からM2の留学なら修論と絡めることは必須ではないですよね。いま留学している後輩もそうです。ふわっと留学に行って、テーマが見つかればいいですよね。留学しようと思うと「渡航するのは大変」「応募者が多いからしっかりしたテーマがないと」などと考えてしまうが、あまりハードルは高めたくないですね。

宮田 – ふわっと何か見つかればいいねということでいえば、ベルリン工科大の後半で受けたスタジオがヒントになりました。都市の廃棄物の建築的再利用に関するスタジオだったのですが、自分が卒業設計で扱った瀬戸市にも窯業の廃棄物を使った窯垣という構築物があって、帰国後は産業廃棄物と建築を一つのテーマにしています。

宮部 – そんな感じに何か見つかればいいよね。

木田 – 自分の場合は、直接絡むというよりは、自ら学びたいことを学びに行きました。京大では建築史を学んでいるのですが、現地ではイベントにおけるテロ対策や災害対策を学びに行きました。というのも飛行機のパイロットの仕事にも興味があって、リスクマネジメントを学びたかったんです。建築とはまったく関係ないですね(笑)。もともと建築にもパイロットにも興味があって、結局両方学ぶことができました。

本田 – 留学先だからこそ、建築や研究分野から外れたことを学んで、そこから運がよければヒントがあるのはいいね。

現地の研究室のメンバーとの写真(本田)

[Q4]海外大学と京大建築の建築教育の違い

宮田 – 先ほど、少しベルリン工科大のスタジオの話をしましたが、結構、京大のスタジオとは違いましたね。京大と海外の大学を経験してみて、改めて京大建築の特徴は何だと思いますか。

本田 – 日本とヨーロッパの違いかもしれませんが、ヨーロッパでは、あまり模型を作らず、最初から3DCGで検討しますよね。建築を考える際の手段に違いがあるように感じます。だからこそ、ヨーロッパの学生は図面を書いたりパースを作るのはとてもうまいなと思うのですが、同時に検討過程を見ていると単純なボリューム操作をしていることが多いですね。京大はコンセプトと模型で考えますよね。

宮田 – 僕も似たような経験があります。スタジオで3DCGをほぼ触らずひたすらスタディ模型(※形の検討のために作る模型)を作っていったら、チームメイトから、ちゃんと3DCGで検討してくれと言われたことがあります。先生は3DCGと模型という検討手段は両方とも評価していました。

本田 – それともう一つ大きな違いとして感じたのは、ヨーロッパは環境配慮が設計の前提条件になっていることですね。日本では、コンセプトの一つとして扱うことはあっても前提にはなっていませんよね。

宮田 – それは僕も感じました。一方で、環境配慮の方法がだいぶ規格化されているように感じました。京大だと良くも悪くもいろんな角度からの意見やアイデアが出てきますね。

宮部 – 京大のいいところは学生が自分の意見を持てるところだと感じます。向こうのプロジェクトの授業はトップダウンで、先生が黒と言ったら黒。よく言えば、権威ある人をリスペクトしている。一方、京大では先生の意見が絶対とはならないところがいい。

本田 – 僕は研究室しか行かなかったので、一概には言えませんが、ほかの学生の話を聞く限り、形の検討やディティールは先生ベースのことが多いように感じました。京大のプロジェクトは学生にアイデアやデザインを投げて、先生とそれを実現させているイメージですね。自分の考えたものが形になるのはとても良いと思います。

宮田 – 確かに日本での研究室のプロジェクトを振り返ると、先生の意見に従うというよりは先生と議論をしている場面が多いと感じます。

木田 – 付け足すと、京大はカリキュラムがちゃんとしているところや、学科内のつながりが強いところがいいですね。一方で、アメリカでは学生の年齢層が広く、おとなと交流できる機会があるのはとても魅力的でした。京大の場合は、学年がはっきり分かれており、どの人が先輩かわかりやすく先輩の話を聞きやすいところがメリットですね。

ベルリン工科大での”ゴミから建築を作る”スタジオの提出物(宮田)

[Q5]留学先での人間関係

宮田 – 人間関係や交流という観点でいえば、みなさんは現地ではどのような人の環が広がりましたか。

木田 – 留学生同士のつながりが強いですね。日本に遊びにきたりのつながりが続いています。アメリカ人も含め、友達とのつながりが多かったです。

宮部 – 留学先では建築の友達が欲しかったわけではなく、結果的に趣味のポケモンカードを通じて友達がたくさんできました。パリのプレイヤーのネットワークがあって、いまでも連絡を取っています。現地でできた友達がよくしてくれて、軍港のまちにある実家に招待してもらいました。人間関係は建築というより、趣味を通じて広がりました。

友人の家族との思い出写真(宮部)

宮田 – 寮では日本人がほぼおらず、各国持ち回りのパーティができないので、東アジアの学生でパーティを開いたりしていました。パーティを開くと、自然といろんな国からの学生が集まってきて関わりが生まれますよね。

本田 – 僕は研究室での活動がメインだったので、比較的ほかの学生との関わりは少なかったです。ウェルカムウィークがあって、他の留学生と仲良くなる機会があり、放課後にバレーで遊んだりしていました。インドや東南アジアの学生とは仲良くなりやすく、特にインド人の一人とは仲良くなりました。いまでもときどき話していて、その子の友人が来年から日本に留学する話をしたりしています。

宮田 – 確かに近い国からの留学生は仲良くなりやすかった。入ってすぐのドイツ語の授業で中国や台湾からの学生とすぐに仲良くなりました。そのあとは特にスタジオで仲のいい学生は増えましたね。スウェーデンやアルゼンチン、ロシア、カザフスタンなど、日本ではなかなか知り合えない国の留学生ともだいぶ仲良くなりました。建築の話スタートだと仲良くなりやすかった印象があります。

宮部 – 僕はフランス人とばかり仲良くなっていました。ポケモンカードプレイヤーは親日の人が多く、仲良くなりやすかったです。

宮田 – 留学と一口にいっても、みなさん、どの話題でもだいぶ違う生活を送っていましたね。ご協力ありがとうございました。

留学から帰ってきて

留学というスピンオフの世界から、もとの世界へ帰ってきて半年が経とうとしている。留学をして外の世界を知ることで、自国のことをよりよく知ることができる、とよく言われる。自国以外にも、自分のこと、いままで学んできたこと、そして京大建築という環境についても、同じことが言えるのではないだろうか。

今回の座談会でも、留学をして”外”を知った先で、京大建築の特徴が現れた。学生が自分の意見を持てる環境や、検討段階で模型を好むことなどだ。しかし、今回話題に上がった特徴は一部に過ぎない。きっと、(留学に限らず)スピンオフから帰ってきて、改めて気づくもとの場の特徴は人によって違うだろう。

外に出てみてはじめて場の輪郭がはっきりすることがある。そして、それはスピンオフの世界から帰ってきたときに最も強く感じるのではないかと思う。